大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和53年(行ウ)23号 判決

原告 篠原久美子

(第一六号事件)被告 広島県教育委員会

(第一六号・第二三号事件)被告 佐伯町立津田小学校校長

主文

一  原告の被告佐伯町立津田小学校校長道旧[馬風]に対する各訴えをいずれも却下する。

二  原告の被告広島県教育委員会に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告佐伯町立津田小学校校長道旧[馬風]が原告に対し昭和五三年六月一三日にした「担任を解く。」との職務命令を取り消す。

2  被告広島県教育委員会が原告に対し昭和五三年六月一九日にした「停職にする」との懲戒処分を取り消す。

3  被告佐伯町立津田小学校校長道旧[馬風]が原告に対し、昭和五三年九月二〇日にした「研修を命ずる。」との職務命令を取り消す。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告

1  本案前の申立て

主文一項と同旨

2  本案の申立て

原告の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位等

(一) 原告は、昭和四九年三月広島大学教育学部小学校教員養成課程を修了し、同年四月広島県公立学校教員に採用され、以来広島県佐伯郡佐伯町立津田小学校(以下「津田小」という。)に勤務し、昭和五三年四月からは五年梅組担任となつた。

(二) 被告広島県教育委員会(以下「被告委員会」という。)は原告の任命権者である。

2  処分の存在

(一) 被告津田小校長道旧[馬風](以下「被告校長」という。)は原告に対し、昭和五三年六月一三日、「昭和五三年六月一三日午前一一時三〇分より研修期間中五年梅組の担任を解く。」との職務命令(以下、「本件担任解除命令」という。)を発した。

(二) 被告委員会は原告に対し、昭和五三年六月一九日、「停職にする。期間は昭和五三年六月二〇日から昭和五三年九月一九日とする。」との懲戒処分(以下、「本件懲戒処分」という。)をした。

(三) 被告校長は原告に対し、昭和五三年九月二〇日、「昭和五三年九月二〇日から昭和五四年三月三一日まで広島教育事務所等での研修を命ずる。」との職務命令(以下「本件研修命令」という。)を発した。

3  原告は広島県人事委員会に対し、昭和五三年七月八日本件担任解除命令及び本件懲戒処分について、同年一一月二日本件研修命令についてそれぞれ審査請求したが、同委員会は前二者については審査請求日から三か月を経過した同年一〇月八日に至るも裁決せず、本件研修命令については、昭和五四年一月一二日審査請求を却下する旨の裁決をした。

4  よつて、原告は本件担任解除命令、本件懲戒処分、及び本件研修命令の取消しを求める。

二  本案前の申立の理由

取消訴訟の対象となる行政庁の処分とは、国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定するものに限られるところ、本件担任解除命令及び本件研修命令は、原告の教諭としての身分や給与等その法律上の地位に影響を及ぼすものではなく、またすでに各期間を経過しているのみならず、原告は昭和五四年三月三一日に本件研修命令に基づく研修を受け終わつているから、原告は処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有さず、したがつて、本件研修命令取消しの訴えは、訴えの利益を欠く不適法なものである。

三  請求原因に対する認否

請求原因事実はいずれも認める。

四  抗弁

1  本件担任解除命令について

学校教育には、教師の職務遂行能力及び教師と児童、父母間の信頼関係が必要であり、これなくしては教育効果は望み得ない。

しかるに、原告にはかねてから別紙(一)の研修の必要性記載のとおり教師としての学習指導面、教育のあり方の面、学級経営面、生徒指導面、教育実践面に問題があつたうえ、別紙(二)の紛争の経緯記載のとおり原告とその担任学級の児童・父母間の信頼関係が失われる異常な事態となつた。この経緯のうち、特に昭和五三年五月二二日の一、二校時において児童が原告に対し反抗的な態度で沈黙するという事態が生じたこと及び同年五月二七日の学級父母五名からの懇談会の申入れを拒否し、加えて一対一の話し合いなら原告も話しやすいだろうとの父母の申入れにも応じなかつたことは、教師として学級の児童及び父母との信頼関係を維持向上させる努力を怠つたものというべきである。そこで学校管理者たる被告校長は、原告に対し、前記のような問題点を是正するため、また原告の教師としての将来に有益でもあると考えて昭和五三年六月一〇日口頭で研修命令を発した(以下「本件第一次研修命令」という。)が、原告はこれに従わず別紙(二)の紛争の経緯記載のとおり前記の異常事態をますます紛糾させたため、被告校長が地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)四三条二項の職務命令たる本件担任解除命令を発したものである。従つて本件担任解除命令は、校務を掌り所属職員を監督する立場にある被告校長(学校教育法二八条三項)がなすべくしてなした合理的な裁量行為である。

2  本件懲戒処分について

原告は、前記1のとおり適法に発せられた本件第一次研修命令及び本件担任解除命令に従わず、更に、別紙(二)の紛争の経緯、特に右のうちの別紙(三)のとおり再三にわたり授業を混乱させ、児童に不安を与えるとともに教師に対する不信の念を強めさせ、更には児童の登校拒否の事態を招いて、保護者及び地域住民の信託に背いたので、右を理由として地方公務員法(以下、「地公法」という。)に基づき本件懲戒処分を発したもので、適正妥当な処分である。

3  本件研修命令について

前記1のとおり、原告に教師としての職務遂行能力の面で問題がありそのため原告と担任学級の児童・父母間の信頼関係に問題を生じたため、これらの問題点を是正するために発せられた本件第一次研修命令が事実上実施されなかつたため、被告校長は原告に対し、地教行法四三条二項の職務命令として本件研修命令を発したものであり、適法な職務命令である。

五  本案前の申立の理由に対する原告の反論

1  本件担任解除命令について

教諭本来の職務は「児童の教育をつかさどる」ことにあり(学校教育法二八条六項)、また小学校においては各学級毎に専任の教諭を置かなければならないこととなつている(同法施行規則二二条)。従つて、担任を解除することは、学校教育法に基づく原告の教諭としての法的地位を侵害するものというべきである。

2  本件研修命令について

(一) 長期研修命令が、教員の勤務の態様、勤務場所等に変更をきたし、身分上の利害に影響を及ぼすことは明らかであるから、本件研修命令は抗告訴訟の対象となる行政処分であるというべきである。

(二) 本件研修命令は、原告に対し教員不適格の烙印を押す不利益かつ制裁的処分であり、原告の名誉、信用等の人格的利益を侵害する効果を有する。そして、原告に対しては右の利益侵害が現存するのであるから、すでに研修期間が経過していても、原告には本件研修命令の取消しを求める訴えの利益が存するというべきである。

六  抗弁に対する認否と主張

1  抗弁1のうち、別紙(一)研修の必要性及び同(二)紛争の経緯各記載の事実についての認否は別紙(四)及び(五)のとおりであるが、別紙(一)の事実が研修を必要ならしめる事由となること、別紙(二)のような事態が原告に教師としての学習指導面、教育のあり方の面、学級経営面、生徒指導面、教育実践面に問題があるため生じたものであること、被告校長が本件第一次研修命令を発した目的が右各問題点を是正するためであつたことは否認する。

2  同2のうち、原告が本件第一次研修命令及び本件担任解除命令に従わなかつたことは認めるが、右各命令が適法に発せられたこと、前記のような事態を生じさせた責任が原告にあることは争う。

3  同3記載の事実のうち本件第一次研修命令が実施されなかつたことは認め、その余は争う。

4  本件担任解除命令の違法性

本件担任解除命令は、児童の集団登校拒否を回避し、被告校長の指導能力の欠如を隠蔽するためになされた違法な命令である。即ち、別紙(二)にもみられるように、原告が昭和五三年五月一九日に年休をとつたことから一部保護者により学級懇談会の開催要求がされ、同月二四日に開催されたのであるが、その席上一部保護者から原告に対し「日の丸」「君が代」等の思想信条に関する質問がされ、これに対する原告の応答を不満とする一部保護者が集団登校拒否を武器として被告校長に圧力をかけ、被告校長はこれに迎合して本件担任解除命令を発したものである。被告校長は一部保護者の原告に対する不満の原因がその思想信条に存することであることを十分知つていたのであるから、保護者側の誤つた認識と行動を改めさせるよう努力すべきであるのに、何らなすところなく全ての責任を原告に押しつけるために原告を担任から外してしまつたのである。

5  本件懲戒処分の違法性

(一) 本件懲戒処分の手続的瑕疵

(1) 地公法二七条一項は憲法三一条の適正手続の原則の趣旨を受けて地方公務員の分限及び懲戒における公正手続を要求している。そして、右公正手続の内容には被処分者に対し聴聞の機会を与えることが当然に含まれているというべく、このことは他の行政諸法規の多くが被処分者に聴聞の機会を与えることを明文で定めていることからも明らかである。

(2) また、右公正手続の要請からすれば、懲戒処分を行うについては懲戒事由の存否、事実の経過等につき十分な調査がされていることが必要であると解されるところ、本件において被告委員会は、紛争発生直後に本件懲戒処分をしており、このことからすれば、被告委員会は本件紛争発生の契機、内容等につき十分な調査をしないまま本件懲戒処分をしたものと推認できる。

(二) 本件懲戒処分は本件第一次研修命令及び本件担任解除命令に従わなかつたことを理由とするが、前者については後記6で述べるとおり、後者については前記4で述べたとおりいずれも違法であるから、原告は右各命令に服従する義務はなく、これに従わなかつたことは懲戒事由とはなり得ないものである。

(三) 次に懲戒事由としての授業の混乱及び集団登校拒否については、この事態は一部保護者が原告の思想や組合活動を嫌悪し職場から追放しようとして行つた行為に被告校長らが適切な対応をせず、それに迎合あるいは同調した結果であつて、その責任は専ら一部保護者及び被告校長らに存する。したがつて、右の事実も懲戒事由たり得ないものである。

(四) 本件懲戒処分は、原告が本件第一次研修命令に従わず、職場から排除するとの目的が果たされなかつたため、再び同じ意図でなされたものであり、懲戒制度の目的とは無縁なものである。

(五) 本件懲戒処分は、原告が職員団体の構成員であり、そのために正当な行為をしたことを理由として不利益な取扱いをしたものである。

原告担任学級の一部保護者が原告に求めたことは組合活動をしないことであり、被告らに求めたものは原告を担任から外すことであり、原告に対し担任教師としての職責を全うすべきことを求めたのではなかつた。したがつて、被告らとしては、保護者に対し集団登校拒否は違法であることを説明するとともに、違法不当な要求に対しては毅然とした態度を保持することが必要であつた。しかるに一部保護者の圧力に屈した被告委員会は原告を教育現場から排斥するために本件懲戒処分を発するに至つたものである。以上の経過からすれば、本件懲戒処分は、原告が職員団体の構成員であり、そのために正当な行為をしたことを理由として不利益な取扱いをしたものというべきである。

(六) 本件懲戒処分は懲戒権の濫用である。

本件の如き場合において原告に対する懲戒処分が正当性を保持しうるのは一部保護者の一連の行動に合理性があり、かつ、教育行政当局が可能な限りの手段を尽くしたにもかかわらず原告が対応を誤つて混乱を生ぜしめた場合であろうが、本件がこれらいずれにも該当しないことは既に述べてきたところである。原告は本件第一次研修命令等に従わなかつたが、これは違法な職務命令から教員に保障されている自主独立性を守るためやむを得ずとつた行動である。授業の混乱の責任は一部保護者にあり、問題とするところを一部保護者が児童に伏せておけば、混乱に児童を巻き込む事態には至らなかつた筈である。一部保護者はその目的達成のため児童を利用したものと言わざるを得ない。集団登校拒否の事態は原告の対応に誤りがあつたために生じたものではなく、一部保護者の一貫した既定の方針であつた。

このように、原告の対応に誤りはなく、一部保護者の行動が不合理かつ違法であり、これに対する被告ら教育行政当局者の対応は妥当性を欠くものであつたのであるから、仮に被告委員会が主張する事実が懲戒事由たり得るとしても、本件懲戒処分は任命権者の有する裁量権の範囲を著しく越えてなされたものというべく、違法である。

6  本件第一次研修命令及び本件研修命令の違法性

(一) 被告校長が右各命令を発したことは違法である。

右各研修の態様は、勤務地とは異なる研修センター等で児童の教育には直接関与しないというものであり、その期間も、本件第一次研修では約二か月半、本件研修では約六か月半であり、このことからすれば、本件各研修は教育公務員特例法(以下「教特法」という。)二〇条三項にいう長期研修に該当することは明らかであり、したがつて、その発令権は任命権者にあつて、被告校長にはないというべきである。

(二) 一部保護者の違法な要求に迎合して行われた本件第一次研修命令及び本件研修命令の違法性

津田小の一部保護者は、昭和五二年一月ころから組合活動家を津田小から排除する意図をもつて「津田小の教育を正常化する有志の会」を結成していたが、その有力な構成員であつた五年梅・松組の一部保護者は、原告の思想や組合活動を嫌悪してその担任排除を要求し、容れられなければ集団登校拒否を行うとの姿勢を示した。右のような保護者側の要求は違法不当なものなのであるから、被告ら教育行政当局者は、これに毅然たる態度で臨むべきであつたにもかかわらず、それに迎合し、集団登校拒否を回避する手段として本件第一次研修命令及び本件研修命令を発し、原告を津田小から排除することを意図したのである。

(三) 命令による研修の違法性

一般公務員についても研修制度が存する(地公法三九条等)が、これと教員の研修について現行法の規定するところの差異は、まずその目的において前者は「勤務能率の発揮及び増進」のためのものであるのに対し、後者は職責遂行のために不可欠のものとされており、教員の一般的な専門職性を前提としている点にある。次に、一般公務員の研修の実施主体は明らかに任命権者であるとされているのに対し、教員については任命権者が行うとは必ずしもされておらず、任命権者には研修施設や研修計画の樹立及び実施の努力義務が規定されている(教特法一九条二項)。これら法規における規定の仕方と教育行政の本質を条件整備とみる教育基本法一〇条二項を考慮し、更に教員の専門職性に思いを至すならば、教育行政当局の研修における役割は、教員の自主的・創造的な研修の援助でなければならない。したがつて、教員の意思に反して行われ、その内容を教育行政当局が一方的に決定する命令による研修は、教員の研修の本質に反し許されないものというべきである。

(四) 本件第一次研修命令及び本件研修命令は、原告の思想信条の自由に対する侵害であり、思想信条による差別である。

被告らは、研修命令発令の理由として保護者との信頼関係の喪失をいう。しかし、被告らがいう信頼関係とは、原告が一部保護者の意向に添うこと、即ち、日の丸、君が代に対する賛意と組合活動の放棄を表明することである。したがつて、原告がこれに応じないことを理由として研修を命ずることは、原告の思想信条の自由に対する侵害であり、思想信条による差別といわざるを得ない。

(五) 本件第一次研修命令及び本件研修命令は、研修の必要性を基礎づける事実が存しないにもかかわらずなされたもので違法である。

(1) 職務命令としての研修の必要性たりうる事由

教員は日常的、継続的に研修に努めるべき職責を有し、教員の側でも日常的な教育実践を通じ、あるいは自主研修、校内研修などにより、教員のあり方を学び、学習指導、生徒指導能力を高め、学級経営及び生徒理解に努めており、原告も右の例に洩れるものではない。したがつて、一般的に教育実践上生ずる問題であつて、教員の一般的な研修努力によつて解決される事由である場合は、殊さら研修を命ずる必要もなく、それ故、そのような事由は職務命令としての研修の必要性たり得ないというべきである。

(2) 職務命令として研修を命ずる場合には、その必要性は発令当時に発令権者が具体的に認識していた事実に限定さるべきところ、本件第一次研修命令及び本件研修命令を発した当時、被告校長は、別紙研修の必要性の一ないし一二項の事実を具体的に知らず、これらの事実が保護者との間で問題とされたこともなかつたのである。

(3) 組合活動と研修の必要性

被告らが原告に研修の必要性が存する事実として掲げるもののうちには、原告が組合活動の一環として多数の組合員とともに行つた行為が含まれているが、これらはそもそも組合員各個人に対する研修の必要性を基礎づける事由となり得ないものであり、仮にこの点を措くとしても、原告と同一行為を行つた他の多数の組合員については研修の必要性が問題にされることはなかつた。しかるに、原告のみにつき命令研修を基礎づける事由とすることは不平等、不公正であるというべきである。

(4) 本件研修の必要性と発令の時期

別紙研修の必要性一ないし八項の事実発生の時期と研修命令が発せられた昭和五三年六月一〇日及び同年九月一九日との間には一年以上の間隔がある。このような事実についてはそれが現在の教育実践に具体的に影響を与えている場合でない限り命令研修を必要たらしめる事由たり得ないというべきところ、右各事実が存したからといつて、昭和五三年六月及び同年九月当時、原告の五年梅組担任としての教育活動上何らの問題も生じていなかつた。

(六) 本件研修命令には裁量権を逸脱した違法がある。

仮に被告校長が主張する事実が研修の必要性を基礎づける事実たり得るとしても、原告に教育実践上の問題があつて児童の指導等の面において支障が生じていた訳ではなく、本件研修命令は不当な保護者の要求に迎合し、原告を津田小から排除するために発せられたものであること、命令による研修は、教員に対しては本来許されないものであること、組合員としての集団行動は、組合員個人の研修事由とさるべきではないこと、被告校長が研修の必要性を基礎づける事実として主張する事実の一部が発生した時と研修命令発令時期との間には一年以上の時間的間隔があること等からすれば、被告校長が主張する事実が存するからといつて原告に長期研修を命ずることは、命令権者に委ねられた裁量の範囲を逸脱するものとして違法と言うべきである。

七  原告の主張に対する被告らの反論

1  本件担任解除命令は前記四1のように、原告と児童、父母間の信頼関係の喪失と原告の職務遂行能力の問題点を是正するために発せられたものであつて、何らの違法はない。なお、親権者には子を監護教育する権利と義務があるのであるから、学校教育の内容についても保護者は教育行政当局あるいは教員に対し、子に与える教育内容につき種々の要求、要請を行う権能を有し、教師の側はこれに対して真摯な対応をしつつ、教育専門家としての立場から最終的判断を行うという責務を負つているものというべきであり、このように、保護者の教育内容に対する教員への要請と学校あるいは教員の教育権とは両立しうるものである。

2  懲戒手続について

地方公務員たる教員に対する懲戒処分を行うにつき、被処分者に対し懲戒事由を告知し、その弁解を聴取しなければならないとの実定法上の根拠はなく、懲戒権者が懲戒処分を行うにあたりいかなる方法により非違行為の存在を認定するかは懲戒権者の合理的な裁量に委ねられているものというべきである。

被告委員会は、原告の行動について町教育委員会及び広島教育事務所から相談と報告を受け、別紙(三)記載の懲戒事由を確認のうえ本件懲戒処分をしたものである。

3  職務命令に対する服従義務について

本件第一次研修命令及び本件担任解除命令は、いずれも原告の職務上の上司である被告校長からの職務命令としてなされたものであるところ、およそ、職務命令には、これに重大かつ明白な瑕疵があつて無効とさるべき場合を除き、受命者はこれに従う義務を負うというべきところ、右各職務命令には少なくとも重大かつ明白な瑕疵は存しない。

4  校長の研修命令についての権限について

小学校の校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する権限を有する(学校教育法二八条三項)のであるから、この権限の一環として、教諭に対し長期研修を命ずる権限をも有すると解すべきである。教特法二〇条三項は、長期研修を受くべき者が備うべき要件、期間、場所、研修に要する費用については任命権者が定めるべきものとしただけの規定であり、これを根拠として、校長には長期研修の発令権がないと解することはできない。

5  職務命令による研修について

研修は事柄の性質上自主的に行われることが望ましいが、学校は組織的かつ有機的な教育活動の展開と完遂を目的とすべきなのであるから、教員の自発的な研修のみでは十分ではなく、教育組織体としての要請に基づき教員に対する研修を命ずる必要のあることは明らかである。

第三証拠〈省略〉

理由

第一本件担任解除命令取消の訴えについて

およそ、抗告訴訟の対象となる処分といいうるためには、当該処分が個人の地位ないし権利関係に対し、直接なんらかの影響を与えるような性質のものでなければならず、そのような性質を有しない処分については、その取消を認める利益はないというべきである。

公立小学校の教諭は、特定の小学校の教諭に補職されるものであつて(学校教育法二八条一項、地教行法三七条一項、市町村立学校職員給与負担法一条)、特定の学級の担任に補職されるものではなく、特定の学級の担任教諭となるのは校長の校務分掌命令(学校教育法二八条三項)に基づくものであり、これ以上に学級担任の地位、職責、資格要件等を定める法令は存せず、その選任手続に関する法令もない(原告は学校教育法二八条六項及び同法施行規則二二条を掲記するが、前者は教諭の一般的職務内容を規定したものであり、後者は小学校の設備編成を定めたものであつて、教諭の法的地位を定めたものとはいえないと解される)。また、学級担任になるか否かによつて勤務地に変動が生じたり、給与その他の経済的条件に差異が生ずるわけでもない。

従つて、本件担任解除命令により、原告の教諭としての地位ないし権利関係に変動が生じたものとはいえず、本件担任解除命令は、取消訴訟の対象となる行政処分ということはできないといわざるを得ない。

よつて、本件担任解除命令の取消しを求める訴えは不適法というべきである。

第二本件研修命令取消しの訴えについて

原告が本件研修命令による研修を履修したことは原告の明らかに争わないところである。そうすると、本件研修命令を判決で取消しても、右判決により被告校長に研修のなかつた状態に戻すことを請求できるわけでなく、仮に、原告主張のように本件研修命令によつて名誉、信用等の人格的利益が侵害されたとすれば、それの回復のためには損害賠償請求によるほかはない(右請求の前提として本件研修命令を取消しておく必要はない)ものというべく、従つて、本件研修命令の取消しを求める訴えの利益はなく、右訴えは不適法として却下を免れない。

第三本件懲戒処分の訴えについて

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  本件懲戒処分までの経緯

1  右争いのない事実にいずれもその成立につき当事者間に争いのない甲第九号証、第一五号証、第一七号証、第二〇号証、第三〇号証、第四二号証、第四五号証、証人戸野雅子の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲第四六号証、証人岡原美知子の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲第三三号証、第四四号証、証人川北浄、同河野一司の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、次のとおり認めることができる。

(一) 昭和五〇年一二月二六日学校教育法施行規則が改正され、小学校に教務主任及び学生主任を置く等の定めがなされ、その職務内容が明らかにされたが、教職員団体である日本教職員組合(以下「日教組」という。)は、右の改正は、従前校務分掌上の役割分担として職員間の協議により定められてきた各種主任を制度化して教育行政当局による教員に対する管理の強化を意図するものであると主張してこれに強く反発し、その実現に対する反対運動を展開してきたが、原告の属する広島県教職員組合(以下「広教組」という。)も日教組の右の方針に同調し、各学校において主任が任命されることへの反対行動を行う(校長、教頭に対して言葉をかわさない、職員朝会への不出席、地方教育委員会、教育事務所への報告や諸会議への出席の拒否等)ことを各組合員に指示していた。

(二) 津田小においては昭和五一年一二月九日、当時の川北校長が原告ら組合員の反対を押し切つて主任を任命したことから、同月一四日より組合員一二名のうち原告を含む三名が職員朝会出席拒否等の具体的な抗議行動に入つた。その後PTA役員を中心として原告ら組合員の組合活動に対し非難の声が上がり、同年一二月一五日にはPTA役員とほぼ全員の教職員間で組合活動についての協議がなされたこともあつたし、昭和五二年一月には一部保護者から主として原告を含む三名の組合員の具体的な抗議行動に対する非難の声が強まり、署名簿を添え学校宛に要求書が提出されたり、このころ一部の保護者が津田小を正常化する有志の会(以下「有志の会」という。)を結成し、その代表者と広教組津田小分会長岡原美知子らが話し合い、広教組津田小分会が全保護者を対象として懇談会を開催し、更には有志の会と学校との間で原告ら三名の具体的抗議行動についての協議会が開催されるなど教育行政当局と広教組との対立に一部保護者が加わるという形で混乱が拡大していつたが、右混乱も昭和五二年三月三一日をもつて原告らが具体的抗議行動を中止したことから徐々に鎮静した。

2  別紙(五)に記載の別紙(二)の事実についての争いのない事実に成立に争いのない乙第一、第二号証、被告道旧[馬風]本人尋問の結果成立の認められる乙第一二号証、証人増田正雄、同岡原美知子、同河野一司、同原田禾夫、同古田吉之輔の各証言、原告及び被告道旧[馬風]各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一) 昭和五三年四月(以下、年の記載のない分はすべて昭和五三年である)、原告は五年梅組を担任するようになつたが、五年梅・松組の保護者中には、前記有志の会の代表九名のうち江盛幹夫、河野一司、中田英夫、正木収の四名が含まれており、同人らは原告が子どもの学級担任となつたことを快く思つていなかつたところ、原告が五月一九日の午後と翌二〇日の年休をとつたことから、有志の会代表の保護者らの間で原告はいわゆる成田闘争に参加しているのではないかとの声が上がり、二〇日の午前中、PTA会長と五年梅組の保護者四名が被告校長を学校に訪問し、原告が成田に行つたのではないかと質問するとともに、高学年故もつと学習に力を入れて貰いたい旨の要請をした。

(二) 二〇日夜、五年梅組の保護者が公民館で会合を持ち、そこでは、原告は年休とつて成田に行つたらしいとの話が述べられるとともに、他校のPTA会長から担任を外すため集団登校拒否を実行した例が紹介された。

(三) 二二日の一、二校時、普段活発に発言する数人の児童が反抗的に沈黙し、原告が理由を尋ねると一人が「成田に行つて火焔瓶を投げたのか。」と質問したため原告がこれを拒否するといつたことがあつたが、三校時以後の授業では右の児童らも発言し、通常どおりに行われた。同日午後原告に対し町教育長から出頭要請があつたが、原告はこれを拒否した。一方、保護者らは河野一司らが中心となつて集会を開き、前記有志の会代表らが原告の組合活動を非難する意見を述べ、原告の意見を聞くため学校に対し学級懇談会の開催を要請した。

(四) 二四日の二〇時三〇分から保護者二三名、学校側から被告校長、教頭、原告及び柴田教諭が出席して学級懇談会が開催されたが、主な質問内容と回答は次のとおりである。

日の丸、君が代についてどう思うか。

いろいろ考えはあるが会合の趣旨からして本日は答えられない。

ストライキと児童とどちらが大切か。

比べられるものではなく、やむを得ず争議行為をするときは自習態勢を調えている。

職員朝会に出て欲しい。

現在は出席している。

テスト採点を児童にさせるのはやめて欲しい。

簡単なテストの採点を児童にさせることもあるが、通常のテストは自らみている。

宿題を見ていないのではないか。

全くの誤解である。

右懇談会は二二時三〇分ころ、司会者の「厳しい質問も出たが、保護者、担任、学校が一体となり児童のために努力しよう。」との趣旨のまとめで閉会となつた。しかし、右閉会後一二名の保護者が校長に対し、「今日の原告の回答は納得できない。担任を外して欲しい。聞き入れられない場合は集団登校拒否する。一〇日間待つので保護者の不信をといて欲しい。」との申入れをした。

(五) 二五日正木の子ども登校せず、原告は、正木に連絡したが面会を拒否され、同人の妻に被告校長とともに会つたが、夫が強硬だから仕方がないとの返事であつた。翌二六日、河野一司から被告校長に対し学級懇談会を開催して欲しいとの申出があつたので、被告校長は教頭及び原告と協議したが、原告は二四日の懇談会が平穏な空気で行われたものではなかつたことから、懇談会を開催すると却つて混乱が拡大すると考え、教頭も同意見であり、被告校長も最終的には右意見に同調した。同日も正木の子は登校しなかつたため、夜になつて原告と被告校長とは正木宅を訪問して説得した結果、明日から出席さすとの返答を得た。二七日、河野一司から被告校長を通じ原告に対し、保護者五名と、それもできないのであれば一対一で話し合いたいとの申出があり、被告校長は原告に話し合うようすすめたが、原告は河野らとの話は二四日の懇談会で尽きていると考え、また、会うと自らも感情的になることを恐れこれを断つた。二九日、三〇日にも学級懇談会の開催要請があり、被告校長は町教育委員会と相談のうえ原告に対し、懇談会を開催し、それに出席することを求めたが、原告はこれを拒否した。三一日、町教育長は原告に出頭を求めたが原告はこれを拒否した。同日の二〇時から被告校長、教頭、保護者一八名位が出席して学級懇談会が開催されたが、原告は出席しなかつた。

(六) 六月に入り、一部の保護者が中心となつて、要望書と題する書面への署名運動が行われたが、右書面には、原告の授業のとりくみ方に問題のあること、父兄の原告に対する不信感を取り除くために再三要請した話し合いや学級懇談会も拒否されて原告に対する不信は拡大していること、正常な学級教育への取り組方を要望する旨及び六月八日までに納得できる回答のない場合は同盟休校に入ることを申し添える旨等が記載されており、これに五一名が署名し、六月三日に町教育委員会に提出された。原告は同月五日に右の事態を聞いて保護者の側に協議を申し入れ、三名の保護者(河部右文、西川光義、西川孝)と学校で被告校長を交えて署名簿のことについて話し合い、その席で原告及び被告校長が学級懇談会の開催を要請したが、保護者の側でこれを拒否した。

六月七日原告は被告校長とともに町教育委員会に出頭を求められ、町教育長から前記要望書の内容について質疑や指導がなされた。翌八日原告は被告校長及び町教育長とともに広島教育事務所に出頭を求められ、福原所長藤川学校教育課長、沖元管理主事とともに対応を協議したが、その席で福原所長は原告に対し、原告と保護者双方に不信感が著しく、適当な対策も考え難いので、長期研修を受けて保護者の信頼を回復することを考えてはどうかとの説得がなされたが、原告はこれを拒否した。その席で原告は福原所長から保護者が明日から集団登校拒否すると通告していることを知つて驚き、同日帰校した後、五年梅・松組のすべての児童の自宅を訪問あるいは電話連絡して児童を登校させるよう説得し、結局、九日には集団登校拒否は行われなかつた。

(七) 六月一〇日の一一時四〇分ころから、校長室において町教育長と教頭が同席し、被告校長が原告に対し自主的に研修を受けるよう告げたが原告はこれを拒否した。

そこで被告校長は原告に対し、職務命令として口頭で、「当分の間研修を命じる」との本件第一次研修命令を発し、研修場所、内容等については一二日に広島教育事務所で示される旨告げたが、原告はこれを拒否した。

六月一二日に被告校長は原告からの要請により本件第一次研修命令を文書にして原告に交付した。そして、町教育長が町教育委員会で原告に対し、前記六月三日に町教育委員会に提出された保護者からの要望書の内容を説明するとともに本件第一次研修命令を受けるよう説得したが、原告はこれを拒否したが、更に同日(一二日)、教育事務所の藤川学校教育課長らが町教育委員会において原告に対し本件第一次研修命令に従うよう説得した結果、原告はいつたんはこれを受ける意思表示をした。

(八) しかるに原告は、翌一三日の朝、被告校長の机上に、一晩考えた結果、研修を受けることはできない旨を記載した「研修命令返上書」を置き、一校時の算数の授業を開始した。そこで被告校長が教室に赴き校長室に来るよう命令したが原告は拒否し、一校時の休憩時間にも原告を説得したがこれに応じなかつた。しかるところ、二校時が始まつても七名の児童が教室に戻らず、河野義刀方にいることが判明したので、教頭が連れ戻した。被告校長は原告に対し、業間体育中(一〇時二〇分から一〇時四〇分まで)職員室で待機するよう命じたが、原告はこれを拒否し、一一時二〇分から一一時四〇分までの休憩時間にも説得をしたが原告はこれに応ぜず、午前一一時三〇分ころ児童一名が帰宅した。被告校長は、午前一一時三〇分、原告に対し文書で本件担任解除命令を発したが、原告はこれを拒否して四校時(一一時四〇分から一二時一〇分まで)の音楽の授業を始めたので、被告校長は教室に赴いて職員室で待機するよう命じたが、原告は拒否し、五校時(一三時三五分から一四時二〇分まで)には教頭と原告とが児童の面前で担任問題について争う結果となり、被告校長が原告に退室を命じたが原告は拒否した。

(九) 六月一四日、被告校長が職員朝会で原告に対し、研修内容を示して研修に行くよう命令するとともに、原告の研修期間中の五年梅組の担当を若佐教諭とする旨を告げ、教務主任の谷教諭が「原告は研修命令に従うべきだ。児童の前で妨害的態度をとるべきでない。教室に出て児童を巻き込むような混乱は避けるべきだ。」と発言した。職員朝会終了後被告校長が原告に対して職員室に待機するように命じ、谷教諭が原告の前に立つて職員室から出ることを阻止しようとしたが、原告はこれを振り切つて教室に向つた。そこで被告校長は教室に赴むき、児童の面前で、原告に対し教室から出るよう命令したが原告は拒否したため、被告校長は図書室で授業するよう教頭に指示し、児童二二名は図書室に移つたが、原告が「みんなの教室はここです。」等と述べ移らないように告げたため、八名は教室に残つた。しかし教室に残つた児童も、被告校長らの説得によつて五校時(一三時三五分から一四時二〇分まで)には全員図書室に移つたところ、原告は被告校長の制止を無視して図書室に入り、次の体育の授業中もすぐ近くに居て授業を見守つたりしたので、被告校長は一六時ころ校長室で原告を説得した。

(一〇) 翌一五日被告校長が職員朝会で原告に対し、研修を受けるために教育事務所に行くよう及び教室には入室しないよう告げたが、原告は「不当な研修命令は拒否します。」と述べ、同僚教諭が研修を受けるよう説得したがこれに応ぜず、一校時の教頭の授業中、同僚教諭の制止を無視して入室し、被告校長の退去命令にも応じないで机間を巡視した。一校時終了後の休憩時間に七名の女子児童が被告校長に対し、授業中原告が机間を巡視し、メモをとつたりすると落ち着かない旨の申し出があつたので、被告校長は直ちに教室に行き、原告に出て行くよう命じたが、原告は応じなかつた。二校時から保護者が被告校長の許可を得て授業参観を始めたが、原告がなおも机間巡視を続けたため二名の児童が泣き出し、三校時には三名の児童が原告に教室から出て行くよう申し出たところ、原告が「一緒に勉強しようと言つてきたじやないの。何でそんなことを言うの。」と答えたので、泣き出して教室から出て行き、これにつられるように約半数の児童が席を立ち、教室が騒然としたため、他の教室の教諭も駆けつけ、谷教諭が原告に対して教室から出るよう説得したが原告はこれに従わなかつたため児童全員を会議室に移したところ、原告も入室して児童に発言しようとするので、谷教諭が外に出るよう説得したが聞き入れず、大声で泣く児童もでて授業できる状態ではなかつたため、被告校長は三校時途中の一一時一五分ころ授業を打切り児童を帰宅させた。

(一一) 翌一六日朝、被告校長は登校した原告に対し、直ちに校長室に来るよう命じ、また町教育長が「話し合いたい。」と要請したが、原告はいずれも拒否し、身体の不調を理由に年次休暇届を提出したので、被告校長はこれを受理した。

同日登校した児童は二名のみで一名は欠席し、二九名は校外の寺に集合して登校を拒否した。

同日二〇時四〇分ころ、原告は電話で被告校長に対し、研修命令に従う旨の意思表示をし、翌一七日午前七時ころ、研修受諾書を提出した。

同日、教育長は原告に対して、六月一九日まで自宅で待機するよう伝えた。

(一二) 一九日、被告校長が広島教育事務所で原告に対し本件第一次研修命令を撤回する旨を文書で伝え、町教育長が本件懲戒処分の辞令を交付した。

三  右認定事実によると、原告は本件第一次研修命令及び本件担任解除命令に従わず、再三にわたつて授業を混乱させ、児童に不安を与えるとともに教師に対する不信の念を強めさせたことは明らかであり、ひいては保護者及び地域住民の信託に背いたものということができ、これらは地公法二九条一項各号に該当するものと認めることができる。

四  本件懲戒処分の適法性

1  原告は、本件懲戒処分について原告に対して聴聞の機会を与えておらず、被告委員会は本件紛争について十分な調査を行つていないから違法である旨主張する。

地公法二九条二項は、「懲戒の手続及び効果は、法律に特別の定がある場合を除く外、条例で定めなければならない。」とし、同法四九条一項は「任命権者は、職員に対し、懲戒その他その意に反すると認める不利益な処分を行う場合においては、その際、その職員に対し処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない。」と定めておるところ、広島県においては、職員の懲戒に関する手続及び効果に関する条例が制定されていて、その二条に、「戒告、減給、停職及び懲戒処分としての免職の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と定めているが、懲戒処分に際し告知、聴聞の手続をとるべき旨を定めたものはない。従つて法令上右手続をとることが義務づけられているわけではなく、右手続をとるかどうかは被告委員会の裁量に委ねられていると解するのが相当である。

本件懲戒処分の対象とされた事実はいずれも被告校長が現認しており、被告校長はこれらを逐次広島教育事務所等に報告していたことは被告校長本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、原告も右懲戒の対象とされた事実そのものについては大部分これを認めており、原告に告知、聴聞の機会を与えておれば、被告委員会の事実認定が異なつたものとなり、ひいては処分内容に影響を及ぼす可能性があつたとは認められないこと等諸般の事情を考慮すると、右手続を経なかつたことに裁量権の誤りはなく本件懲戒処分の手続が適正かつ公正を欠いた違法があるということはできない。

2  次に原告は、本件第一次研修命令は発令権限のない被告校長によつてなされ、かつその発令された目的等からして違法なものであるから、これに服従する義務はなかつた旨主張するので検討する。

(一) 校長は、「校務をつかさどり、所属職員を監督する」権限(学校教育法二八条三項)の行使として、教諭に対し、職務命令として研修を命じることができるものと解するのが相当である(この点について原告は、命令による研修は許されない旨主張するが採用できない)が、右はあくまで監督権限の一環としてのものであること及び法令上研修について明定されているのは教育委員会の権限としてである(地公法三九条、地教行法二三条八号、四五条一項、教特法一九条、二〇条)こと等に照らすと、研修のために勤務すべき場所が変わり、かつそれがかなり長期間のものである場合には、「児童の教育をつかさどる」という教諭の主たる職務内容(学校教育法二八条六項)を著しく変更することになるから、このような研修命令の発令権限は教育委員会にあり、校長にはないと解するのが相当である。

前記認定事実によると、本件第一次研修命令の期間は「当分の間」というのであり、研修場所、内容等は明示されていなかつたものの、六月八日の福原広島教育事務所長の原告に対する説得内容からすると津田小以外の場所での長期研修が予定されていた(なお、被告校長及び原告各本人尋問の結果によれば、被告校長は、本件第一次研修命令を発令する際、研修期間は三か月程度と考えていたこと、本件第一次研修命令発令後の六月一二日、原告は広島教育事務所の職員から、期間は昭和五三年八月三一日まで、場所は広島教育事務所、内容は学級経営等についての学習である旨が示されたことが認められる。)もので、そうすると、本件第一次研修命令は原告の職務内容を著しく変更するものであつて、被告校長にはかかる研修命令を発令することはできず、従つて本件第一次研修命令を被告校長が発したことは、違法であるといわなければならない。

(二) また、前記認定の本件第一次研修命令が発令されるまでの経緯に照らすと、本件第一次研修命令の主たる目的は、研修の本来の目的である専門的知識の修得及び人格の高揚にあつたというよりは、むしろ、原告と保護者との紛争を鎮静化させるため、原告を一時的に津田小から排除することを少なくとも主たる目的としてなされたものと推認することができ、この認定は、仮に被告らが主張する別紙(一)の研修の必要性の事実がすべてあつたとしても左右されないというべきである(原告は研修の必要性は全くなかつた旨主張するが、別紙(一)の研修の必要性についての別紙(四)に記載の争いのない事実及び前記二認定事実中の本件第一次研修命令が発せられるまでの言動に照らすと、研修の必要性が全くなかつたものとはいえない)。

(三) なお、原告は、本件第一次研修命令は一部保護者の違法な要求に迎合したものであり、原告の思想信条の自由を侵し、組合活動を理由とする不利益な取扱いである旨主張するところ、前記二認定事実によると、本件紛争は、その発端において、一部の父兄が原告の思想信条につながる言動を問題視したことから生じるに至つたもので、右言動等を主たる理由として担任の排除を求めたり、子供をして登校拒否させるといつた一部保護者の行動中には不当な点のあつたことは否定できないが、本件第一次研修命令が前記紛争の鎮静化を図つた以上、右保護者の不当な要求に迎合し、原告の思想、信条を侵害し、組合活動を理由とする不利益な取扱いであると認めることはできない。

(四) ところで、地公法三二条、地教行法四三条二項は、職員はその職務を遂行するに当たつては上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定しており、右立法趣旨は、一般に上司の職務上の命令があつた場合に、職員が個々的に違法性を判断し、違法と判断した場合にはそれに従う義務がないとすると、行政組織的一体性が損なわれ行政の運用が阻害されることとなるので、このようなことのないようにするために設けられたものと解せられ、従つて、当該職務命令に瑕疵がある場合でも、何人が見ても違法であることが明白であり、それに服従すれば違法な行為を行う結果となるといつたような場合を除き、これに服従する義務があると解するのが相当である。

本件第一次研修命令は、前記のように発令者及びその主目的の点で違法であるといわざるを得ないが、前者の点については、被告校長には一般的に研修命令発令権がないというのではなく、本件の如き態様の研修についてはその権限がないというにとどまるものであり、また、前記二認定事実と被告校長本人尋問の結果によれば、本件第一次研修命令は、被告校長が町教育委員会及び被告委員会(具体的にはその一部局である広島教育事務所)の指示を受けて発したものであることが認められ、従つて、実質的な発令者は被告委員会であるとみることもできるし、本件第一次研修命令の目的の主従も相対的なものであり、研修である以上その本来の目的である専門知識の修得及び人格の高揚を果すものであることは明らかであるから、本件第一次研修命令についての前記(一)、(二)の瑕疵は明白かつこれに服従すれば違法な行為を行う結果となるものとは認めることができない。

そうすると、本件第一次研修命令に対する不服従も懲戒事由には該当するものといわざるを得ない。

3  次に原告は、本件担任解除命令も違法なものであつたから、これに服従する義務はなかつた旨主張する。

しかし、前記第一のとおり校長は自校に補職された教諭につき、学校教育法二八条三項に基づき特定の学級担任に任ずることができるとともに一旦任じた担任を必要ある場合には学年途中で解くことも可能というべく、また、校長の右権限は、担任解除が教諭の法律上の権利関係に変動を及ぼすものでないことからすれば、無制限でないことは当然としても、相当程度の裁量に委ねられるものと解するのが相当である。

前記二認定事実によると、本件紛争の発生及び拡大について一部保護者にもその責任の一端のあることは否定できないとしても、原告が本件第一次研修命令に従わず、原告の思いつめた言動によつて授業が更に混乱し兼ねない事態となつていたのであるから、被告校長がこれを回避すべく本件担任解除命令を発したのは、合理的な裁量の範囲内に属する適法かつ妥当な職務命令であるというべきである。

4  次に原告は、授業の混乱及び集団登校拒否の責任は専ら一部保護者及び被告校長に存するから、右事実は懲戒事由になり得ない旨主張するが、前記二認定事実によると、六月一二日以降の授業の混乱等は主として原告のかたくなな言動によつて生じたものであるといわざるを得ず、右主張は採用できない。

5  また原告は、本件懲戒処分は、懲戒制度の目的とは無縁になされた旨及び組合活動を理由とした不利益な取扱いである旨主張するが、前記二認定事実に照らすと右主張も採用できない。

6  次に原告は、本件懲戒処分は懲戒権の濫用である旨主張する。

前記のように、本件紛争の発生及び拡大については一部保護者にもその責任の一端があることは否定できない。しかし、原告には、小学校教諭として児童を直接混乱に巻き込む事態はなんとしても回避すべき責務があつたものというべきところ、これに反し、原告は児童の面前で被告校長、教頭らと対立し、前記二認定のとおり六月一三日以降の大混乱を生じさせたもので、これが小学校五年生の児童に与えた精神的影響は大きいものと考えられ、前述の保護者側の非を考慮に入れても、原告の責任は決して小さいものではない。そして、裁判所が公務員に対してなされた懲戒処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて、懲戒処分をすべきであつたかどうか、又は、いかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と右処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法と判断すべきものである(最判昭和五二年一二月二〇日民集三一巻七号一一〇一頁)ことからすれば、本件懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとは未だ認め難いというべきである。

第四結論

以上の次第で本件担任解除命令取消の訴え及び本件研修命令取消の訴えはいずれも不適法として却下し、本件懲戒処分の取消しを求める請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 出嵜正清 加藤誠 太田雅也)

別紙(一) 研修の必要性

一 昭和五一年一二月九日校長が授業を行うよう命じたにもかかわらず、学校教育法施行規則の一部を改正する省令(昭和五〇年文部省令第四一号)で定められた主任制度に反対して一校時の授業の大半を放棄するとともに同日五校時の校内研究授業に参加しなかつた。

二 昭和五一年一二月一四日から昭和五二年三月末日までの間、職員会議(二月一日のみ出席)及び毎朝の職員朝会に出席しなかつた。

三 昭和五一年一二月一四日、原告は津田小の子供貯金業務担当を命じられていたにもかかわらず、佐伯農業協同組合から持参された児童の貯金通帳を各学級担任教諭に渡さないで校長の机上に放置し、校務を放棄した。

四 主任制度への反対を内容とする組合文書を勤務時間中担任学級(一年梅組)の児童に交付して各家庭に配付した。

五 同年一二月二五日、大竹小学校で開催された佐伯大竹同和教育研究大会に事務手続、会費の支払を無視して一〇数名の者とともに乱入し、会議を混乱させた。

六 昭和五二年一月一三日、校長が職務命令として教育委員会が実施する新一年生の健康診断の予告を掲載した「学校通信」の配付を指示したにもかかわらず、これを実行しなかつた。

七 同年一月一九日、校内研究授業及びその反省会に出席しなかつた。

八 同年三月二五日、遠足を校長に無断で計画し、かつ実施した。

九 校長から昭和五一年度の児童の指導要録を昭和五二年三月三一日までに提出するよう指示されたが、記入不完全のまま提出し、校長及び教頭の記入指導にもかかわらず、提出は昭和五三年一月以降にもちこされた。

一〇 昭和五二年七月二九日一日の特別休暇である生理休暇をとり宮島小学校で開催された県教育委員会主催の新規採用者研修会を妨害した。

一一 教特法二〇条二項の研修の承認を受けていながら、同年八月二四日(東広島市中央公民館)及び同月二五日(観音高等学校)で開催された県教育委員会主催の五年研修会の妨害行為を行つた。

一二 昭和五三年一月二八日、校長は特殊学級入級に関する手続のため児童の知能検査測定一覧表の提出を指示したが、当初期限である一月三一日、延長期限である二月一日いずれも提出せず、書面による職務命令により三月九日に漸く提出した。

一三 昭和五三年度当初から漢字の読み書き、算数の基本的なもののテストの採点を児童に任せ、自らは目を通さなかつた。

一四 同年四月一五日、交通事故を起こし、広島県廿日市土木建築事務所管理のカーブミラーを破損させながらその事後処理を怠つた。

一五 同年五月三〇日の理科実験につき事前準備を怠つたため解剖器具を準備できず、錆びたナイフやはさみを児童に使用させ、十分な授業が行えなかつた。

一六 同年五月二二日、児童の「先生は土曜日に成田に行つて火焔瓶を投げたんだろう。」との質問に原告が適切な回答をしなかつたことから、一校時及び二校時に亘り大多数の児童が原告に反抗し、十分な授業がなしえなかつた。

また、同日、佐伯町教育長が原告に対し、事情聴取のため教育委員会に出頭するよう指示したにもかかわらず、原告はこれを拒否した。

一七 同年五月二七日、原告との信頼関係を回復する目的で原告学級の保護者がした懇談申出を、被告校長の指導にもかかわらず二度に亘り拒否した。

一八 同年五月二九日、被告校長は原告学級の保護者三二名中二九名からの懇談要請を原告に伝え不信を解くために懇談するよう助言したが、原告はこれを拒否した。

一九 同年五月三〇日、被告校長は原告の学級の学級委員から五月三一日に懇談会を開きたい旨の申出があることを原告に伝え、二度に亘り出席するよう指導したが、これに対し原告は「校長も父母の強い姿勢にペコペコ頭を下げていると他の父母の不信を買いますよ。」「父母の登校拒否するぞ、というのはおどしですよ。やるんならやらせればいい。」との趣旨の発言をした。

二〇 同年五月三一日、町教育委員会教育長が学級懇談会への出席を指導するため委員会への出頭要請をしたが、原告はこれを拒否し、午後八時ころから開催された学級懇談会にも欠席した。

別紙(二) 紛争の経緯

昭和五三年(以下同)五月一九日(金)

一 原告は午後と二〇日の年休届提出する。

二 被告校長は右届出を受理し緊急の場合の連絡場所について確認する。

五月二〇日(土)

一 PTA会長の中井稔美、原告学級の保護者四名が来校し、原告につき「学習指導が十分でない。闘争参加のため成田に行つたのではないか。高学年で大切な時期だから休みをとらないでもつと勉強をみて欲しい。」と被告校長に要請した。

二 広島教育事務所は原告学級の保護者から「子供に学力がついていない。子供も親も大変不信をもつている。抗議のため五月二二日から登校を拒否する。」との内容の電話連絡を受けたため、その旨を佐伯町教育委員会教育長(以下「町教育長」という。)に連絡する。

三 町教育長は、右を校長に連絡し、校長は継急職員会議を開き対策を協議する。

四 被告校長から原告の自宅に連絡したが、連絡とれず。郵便で連絡を指示する。

五 町教育長はPTA代表者と話し合う。

五月二二日(月)

一 午前零時過ぎ被告校長は原告から電話連絡を受け、状況を説明する。

二 一校時及び二校時、原告学級の児童が原告に反抗して沈黙し授業できず。

三 一五時ころ町教育長から原告に出頭要請があつたため、被告校長が原告にその旨を伝えたが、原告はこれを拒否する。

四 一六時一五分ころ校長は町教委に出頭して保護者の不信解消のための対策について協議する。

五 一八時一五分ころ原告から被告校長に電話があり、被告校長は町教育長との話し合いの内容を説明する。この時保護者の不信を解く努力をするよう指示するとともに保護者から懇談要請が出ていることを伝える。

五月二四日(水)

一 二〇時三〇分から二二時三〇分ころまで被告校長、教頭、柴田教諭及び原告並びに保護者二三名が出席して学級懇談会が開催される。散会後、一二名の保護者が被告校長に対し「原告を担任から外して欲しい。聞き入れられないときは登校拒否する。一〇日間待つので保護者の不信を解いて欲しい。」と要求する。

五月二五日(木)

一 正木収の長女登校拒否する。

二 被告校長は正木収と話し合う。

五月二六日(金)

一 河野一司から正木収の長女の件で学級懇談会の開催申出がある。

二 被告校長は教頭及び原告の意思を聴取したうえ、河野一司に対し、会の開催を断る。

三 二〇時ころ、被告校長と原告とは正木方を訪問し登校させる旨の返答を得る。

五月二七日(土)

一 九時二〇分ころ、河野一司から被告校長に対し西川光義外保護者四名と原告との懇談申出あり。

二 被告校長は右の旨を原告に伝え話し合うよう指導したが拒否する。

三 被告校長は原告の回答を河野一司に伝えた。

四 河野一司は「一対一でなら話しやすいだろうから、今日帰りに寄つてもらうよう伝えて欲しい。」と被告校長に依頼し、被告校長はこれを原告に伝えたが、原告はこれにも応じなかつた。

五月二九日(月)

一 被告校長は九時ころ河野一司に会い保護者の動静を聞いた。

二 保護者から被告校長に対し、今日是非話し合いたいとの要望がなされた。

三 被告校長は一〇時二〇分ころ原告に対し保護者の要望を伝えるとともに、不信を解くため会うよう助言したが受け入れなかつた。

五月三〇日(火)

一 一一時一〇分ころ、被告校長に対し学級委員の河野義刀から「五月三一日二〇時から学級懇談会を開きたいので学校を貸してもらいたい。」との申入れがあつた。

二 被告校長は原告に懇談会出席を説得したが拒否し、「校長も保護者の強い姿勢にペコペコ頭を下げていると他の保護者の不信を買いますよ。」などと発言する。

三 被告校長は一四時五〇分ころから再度原告に懇談会への出席を要請したが、原告はこれを拒否し、「保護者の登校拒否するぞ、というのはおどしですよ。やるんならやらせばいい」などと発言する。

五月三一日(水)

一 町教育長は原告に出頭を求めたが、原告はこれを拒否した。

二 二〇時から二三時ころまで被告校長及び教頭並びに保護者一八名が出席して学級懇談会が開かれたが、そこで保護者は同盟休校も辞さないとの決議を行い、被告校長はこれを回避するよう保護者を説得した。

六月二日(金)

一 被告校長は原告を校長室に呼び一六時三〇分ころから一八時二〇分ころまでの間、保護者から指摘された原告の学習指導上の問題点等につき事情聴取するとともに指導を行う。

二 保護者は要望書の署名活動を行う。

六月三日(土)

一 五年梅組の保護者のうち二七名が町教育委員会、広島教育事務所等に要望書を提出する。

二 町教育長は同盟休校を回避すべく保護者を説得する。

六月六日(火)

一 広島教育事務所の福原所長、藤川学校教育課長及び沖元管理主事が佐伯町内の小・中学校を定期訪問する。

二 福原所長らは一八時二〇分から二〇時五〇分ころまで五年梅組の保護者一四名から要望を聴取するとともに児童を巻き込む事態は絶対に避けるよう説得する。

六月七日(水)

一 町教育長は一〇時三〇分ころ被告校長と原告とに対し町教育委員会に出頭するよう指示する。

二 町教育長は原告に対し、一一時三〇分ころから一三時三〇分ころまでの間教師のあり方等について指導する。

三 町教育長は原告に対し、職務命令による研修を示唆する。

六月八日(木)

一 町教育長は一一時一〇分ころ被告校長に対し、原告とともに広島教育事務所に出頭するよう指示する。

二 広島教育事務所係官は一五時二〇分ころから一八時ころまでの間原告に対し教師の義務と責任等について指導する。

三 広島教育事務所係官は原告に対し研修を受けるよう指導する。

四 町教育長は保護者に対し同盟休校を避けるよう説得する。

六月一〇日(土)

一 町教育長と被告校長は一一時四〇分ころから一二時三〇分ころまでの間校長室で原告に対し自主的に研修を受けるよう指導したが、原告はこれを拒否する。

二 被告校長は原告に対し職務命令による研修を命じたが原告はこれを拒否する。

六月一二日(月)

一 原告は八時一五分ころ被告校長に対し、研修命令の文書化を申し入れる。

二 町教育長は八時四〇分ころ津田小に赴いた。

三 被告校長は研修命令を文書化して原告に交付する。

四 町教育長は九時一〇分から一二時ころまでの間原告に対し、町教育委員会で保護者からの要望書の内容を説明するとともに研修命令に従うよう説得する。

五 原告は研修命令を拒否する。

六 広島教育事務所の藤川学校教育課長及び沖元管理主事は、一六時ころ町教育委員会において原告に対し、一六時二〇分ころから一七時二〇分ころまでの間、研修内容期間、場所等について説明し、研修命令に応じるよう説得する。

七 原告は研修命令に従う旨の意思表示をする。

八 五年梅組の授業は教頭が行う。

六月一三日(火)

一 原告は被告校長の机上に「研修命令返上書」を置き一校時(八時四〇分から九時二五分まで)の算数の授業を開始する。

二 被告校長は教室に行き校長室に来るよう命令したが原告は拒否する。

三 町教育委員会は「児童の面前での説得は好ましくない。一校時終了後の休憩時間に説得せよ。」と被告校長に指示する。

四 被告校長は一校時後の休憩時間に説得したが原告は拒否した。

五 二校時が始まつても児童七名が教室に戻らず。

六 教頭が二校時の授業を行い、その間被告校長が原告を説得する。

七 一〇時二〇分ころ、町教育委員会から教頭に対し、七名の児童は五年梅組の学級委員河野義刀方にいる、との電話連絡があり、一〇時四〇分ころ教頭が全員を連れ戻す。

八 被告校長は業間体育中(一〇時二〇分から一〇時四〇分まで)原告に対し職員室で待機するよう命じたが拒否する。

九 被告校長は一一時二〇分から一一時四〇分までの休憩時間にも原告に対する説得を行つたが、原告は応じず。

一〇 一一時三〇分ころ児童一名が帰宅する。

一一 一一時三〇分、被告校長は原告に対し文書で担任解除命令を発したが、原告は拒否する。

一二 被告校長は四校時(一一時四〇分から一二時一〇分まで)の音楽の時間教室に赴いて原告に対し職員室で待機するよう命じたが原告はこれを拒否する。

一三 町教育長は一一時五五分登校し、被告校長から事情を聴取する。

一四 被告校長は一二時四〇分ころ原告に対し、広島教育事務所に出頭するよう命じたが、原告はこれを拒否する。

一五 五校時(一三時三五分から一四時二〇分)、教頭と原告とは児童の面前で争う結果となる。被告校長は原告に対し退室命令を発したが原告はこれを拒否した。

一六 町教育長と被告校長は一六時五〇分ころから一七時四〇分ころまでの間広島教育事務所に行き状況を報告し対応策を協議する。

六月一四日(水)

一 被告校長は職員朝会の席で原告に対し研修内容等を示し研修を受けるよう命令する。

二 被告校長は同席上原告に対し、原告の研修期間中五年梅組は若佐教諭が担当する旨伝える。

三 原告は同席上「署名した保護者の子供は近頃態度が傲慢だ。私は担任として授業する。研修には行かない。」と述べる。

四 教務主任の谷教諭は職員朝会の席で「原告は研修命令に従うべきだ。児童の前で妨害的態度をとるべきではない。教室に出て児童を混乱に巻き込むことは避けるべきだ。」と発言する。

五 職員朝会後、被告校長は原告に対し職員室に待機するよう命じたが、原告はこれを拒否する。谷教諭は原告が職員室から出るのを阻止しようとしたが、原告はこれを振り切つて教室に向かつた。

六 被告校長は原告が一校時の算数の授業を行つているところに行き、児童の面前で原告に対し教室から出るよう命じたが、原告は拒否する。

七 被告校長は教頭に対し図書室で授業するように指示する。児童二二名は図書室に行き、児童八名は原告が教室から出ないように命じたため教室に居残る。

八 被告校長は休憩時間に教室に残つた児童に対し図書室に行くよう説得する。これに対し原告が「自分の判断で行動できない子は弱虫だ。親や校長の言うことを聞いてはいけない。図書室に行つた者は六年生に進級できない。」と発言したため、児童は泣き出す。

九 教室に残つた八名の児童のうち一名が一校時終了後図書室に移る。

一〇 五校時(一三時三五分から一四時二〇分まで)から児童全員が図書室で授業を受けたが、原告は被告校長の制止を無視して図書室に入り、六校時(一四時三〇分から一五時一五分まで)の体育の時間も運動場に出て授業を妨害する。

一一 被告校長は一六時ころ校長室で原告に対し研修を受けるよう説得する。

一二 被告校長は一七時一五分以降関係機関に状況を報告する。

六月一五日(木)

一 被告校長は職員朝会で「原告は研修を受けるために教育事務所に行くこと。原告は教室に入らないこと。入つたときは退去命令を出します。」と述べる。

二 原告は職員朝会で「不当な研修命令は拒否します。」と発言する。

三 職員朝会で原告の同僚教諭多数も原告に研修を受けるよう説得したが原告は応じず、教室の入口で同僚教諭が入室しないよう制止したが、原告はこれも無視して教室に入る。

四 被告校長は原告に教室から出るよう命じたが、原告は拒否する。

五 一校時教頭が授業を行う間、原告は机間を巡視する。

六 一校時終了後の休憩時間に七名の女子児童が職員室に来て教頭に対し「篠原先生が教室にいてメモしたり何とかかんとか云うので息がつまりそうで落ち着いて勉強ができない。」と申し出る。

七 被告校長は直ちに教室に行き原告に教室から出るよう命じたが拒否する。

八 保護者が授業参観を申し出たので被告校長は一校時終了後の休憩時間から参観することを許可する。

九 二校時の算数の授業の始め、二名の女子児童が原告に何か訴えたいような様子であつたが、声にならず泣く。

一〇 三校時の始め、三名の女子児童が原告に対し「教室から出て欲しい。」と申し出る。原告は「私が担任です。なぜ出なければならないのですか。どうして皆さんは私を白い眼でみるのですか。」と言つて断る。三名の女子児童は廊下に飛び出して泣く。数名の男子児童が「トイレに行く。」と言つて教室外に出る。続いて半数以上の児童が廊下に飛び出し、父母にすがりつき輪になつて泣き出す。

一一 保護者と児童が近くの教室の教員に対し「異常事態です。すぐ来て下さい。」と連絡する。二階の全学級の教員が駆けつける。谷教諭が教室に入り原告に対して教室から出るように説得したが、原告は拒否した。教頭は谷教諭に児童を階下の会議室に連れて行くよう指示し、原告に対する説得を続ける。

一二 児童が会議室に移動すると原告も入室して児童に対して発言しようとするので、谷教諭が外に出るよう説得したが拒否する。

一三 児童は大声で泣き出す。

一四 被告校長は三校時途中の一一時一五分ころ授業を打ち切り、児童を帰宅させる。

一五 被告校長は一四時三五分ころ校長室で原告を説得する。

一六 被告校長は本日の状況を関係機関に報告する。

六月一六日(金)

一 登校した原告に対し被告校長が校長室に来るよう命じ、教育長は話し合いたい旨を伝えたが、原告はいずれも拒否する。

二 原告は身体の不調を理由に年休届を提出し、被告校長は受理する。

三 職員室の出口で多数の婦人教員が教育長と話し合うよう説得したが、原告はそのまま帰宅する。

四 五年梅組の児童は三二名中二名のみで登校、二九名は教覚寺に集合。一名は欠席。

五 被告校長と教育長は教覚寺で保護者を説得したが、原告が被告校長の命に従わない状態であり、子供を登校させるのは不安であるとの理由で拒否される。

六 被告校長は本日の状況を関係機関に連絡する。

七 二〇時四〇分ころ、原告から被告校長に電話があり、研修命令に従う旨の意思表示がある。

六月一七日(土)

一 原告は七時ころ被告校長に研修受諾書を提出する。

二 教育長は原告に対し、六月一九日まで自宅に待機するよう伝える。

三 児童はいつたん教覚寺に集つたが、八時二〇分ころ全員登校する。

四 被告校長は本日の状況を関係機関に連絡する。

六月一九日(月)

被告校長は原告に広島教育事務所への出頭を命じ、被告校長は同所で研修命令撤回を文書で通知し、町教育長は停職処分の辞令を交付する。

別紙(三)

懲戒事由(地方公務員法第二九条一項違反事実)

処分事由 事実

一、研修命令に従わなかつたこと。

○ 昭和五三年六月一〇日午前一一時四〇分頃原告を校長室に出頭させ、教頭立会いのもと被告校長は口頭で原告に研修を命じたが拒否した。

○ 六月一二日午後四時二〇分頃から同五時二〇分頃まで、佐伯町教育委員会で、原告に研修内容、日程、場所、期間等について説明し、一応研修命令に従う旨の意思表示がなされたにもかかわらず、六月一三日午前八時二五分からの職員朝会終了後、原告から職務命令返上書が提出された。

○ 六月一三日、同一四日、同一五日被告校長は再三従うよう命じたが、従わなかった。 二、担任解除命令に従わなかつたこと。

○ 六月一三日午前一一時三〇分頃書面により担任解除の命令を校長が発したにもかかわらず拒否した。かつ、命令が出された以降六月一五日まで、旧担任学級の授業を行おうとして、被告校長の命じた代替担任者(以下、「担任教頭」という。)の授業を妨害した。

三、この間、授業を再三にわたつて混乱させ

○ 六月一二日から、研修が実施され原告の本務は、担任学級の授業の実施でなく、研修を受けることになつているにもかかわらず六月一三日の一校時から学級の授業を行おうとして被告校長の再三にわたる退室命令を拒否して、担任教頭の授業を妨害し、同月同日午前一一時三〇分頃出された被告校長の担任解除の命令をも拒否し、それ以降六月一五日まで、五年梅組の授業を妨害し、当該学級に次のような混乱を起させた。

○ 六月一三日

○ 一校時終了後、七人の児童帰宅。

○ 担任教頭は、帰宅した七人の児童を午前一〇時四〇分頃つれもどす。

○ 午前一一時三〇分頃一名の児童帰宅する。

○ この日、被告校長は、各休憩時間及び各校時(六校時まで)に再三「教室に行かないように」「退室命令」を発したが、原告はこれに従わず、担任教頭の授業をさせず、児童の面前で、再三担任教頭とやりとりするという状態となり、児童は不安気で、授業に身が入らない梯子であつた。

被告校長は、児童の面前で原告とやりとりするのは、教育上好ましくないと判断し、担任教頭を教室からつれ出すことになつた。

○ 六月一四日

○ 六月一三日のことから、被告校長は、担任教頭に五年梅組の授業を図書室で行うよう指示したが、原告は、児童に「教室から出ないよう」命じたため、二二名の児童が一校時を図書室で、教室には、八名が残るという変形授業となる。この八名の児童のうち一名は、一校時終了後図書室で授業を受け、残りの七名も、昼の休憩時間に前年度担任教諭が児童を説得し、五校時から図書室で授業を受けることになつた。原告は、被告校長、担任教頭の制止を無視して入室或は、運動場に出て五校時(音楽) ○六校時(体育)の授業中机間巡視或は個人指導をし、二人の先生から指導を受ける児童は、不安、複雑な様子であつた。

○ 六月一五日

○ 一校時から担任教頭は授業を実施したが、原告は机間を巡視し退室命令、入室禁止命令に従わない。

○ 一校時終了後七名の児童が「篠原先生がいると勉強にならない」と言いだす。また、五年梅組学級の父母達が心配して授業参観を要請する。被告校長は、担任教頭と相談しこれを許可する。

○ 二校時に至つても机間巡視を続けたため、二名の児童が篠原教諭の前で泣き出すといつた状態になる。

○ 三校時も同様の状態で授業が行われ、三名の児童が「落着いて勉強出来ない。出てください。」と原告に申し出る。その後三名の児童は廊下に飛び出して泣きだし、引き続き半数以上の児童が廊下、運動場に出るといつた状態になつた。この異常事態を児童・授業参観中の父母達は近くの教室の先生に連絡した。谷教諭は、担任教頭の指示により児童を会議室に移動させた。

○ 被告校長は、このような事態の報告を担任教頭から受け、五年梅組の児童の下校を午前一一時一五分頃指示し、全職員を児童の家庭に訪問させた。

四、児童に不安を与え教師に対する不信の念を強めさせ

○ 「児童に不安を与えたこと」は、前記三の授業を混乱させた事実から明らかである。

○ 「教師に対する不信の念を強めさせたこと」は、六月一二日から同月一五日まで、上司の職務命令(研修命令、担任解除命令、退室命令等)に従わなかつた事実、及び前記三の授業を混乱させた事実から明らかである。

五、登校拒否の事態をまねき、保護者並びに地域住民の信託にそむいた

○ 六月一六日五年梅組の児童は、一名欠席、二名登校、他の二九名は教覚寺に集合するという事態になつた。

○ 佐伯町教育委員会及び被告校長は、八時二五分頃同寺に行き、父母を説得したが、原告への不信感が強く「校長の命令に従わないような状態であり、子供を登校させることは不安である。」として説得しえなかつた。

○ 又、前記一から五の事実は、明らかに保護者及び地域住民の信託にそむいたものである。

別紙(四) 別紙(一)の研修の必要性に対する認否

(一) 一項中「一校時目の授業の大半を放棄した」との点は否認し、その余は認める。

(二) 二項は認める。

(三) 三項は認める。

(四) 四項は認める。

(五) 五項は否認する。

(六) 六項は認める。

(七) 七項は認める。

(八) 八項中「校長に無断で」との点は争う。その余は認める。

(九) 九項は認める。

(一〇) 一〇項は否認する。

(一一) 一一項中「妨害行為を行つた。」との点は争う。その余は認める。

(一二) 一二項は認める。

(一三) 一三項は否認する。

(一四) 一四項中「その事後処理を怠つた」との点は否認し、その余は認める。

(一五) 一五項中昭和五三年五月三〇日、理科の実験で錆びたナイフやはさみを使用したことは認めるが、その余は争う。

(一六) 一六項前段は否認する。同項後段は認める。

(一七) 一七項中「原告との信頼関係を回復する目的で」との点は争う。その余は認める。

(一八) 一八項は認める。

(一九) 一九項中原告の発言内容は否認し、その余は認める。

(二〇) 二〇項は認める。

別紙(五) 別紙(二)の紛争の経緯に対する認否

(一) 五月一九日の事実は認める。

(二) 五月二〇日の事実一項中保護者から「成田闘争に参加のため成田に行つたのではないか」との質問があつたことは認め、その余は不知。同二ないし五項は不知。

(三) 五月二二日の事実中一、三項は認める。四項は不知。二項は否認する。五項のうち「保護者の不信を解く努力をするよう指示した」との点は否認し、その余の事実は認める。

(四) 五月二四日の事実は認める。

(五) 五月二五日の事実は認める。

(六) 五月二六日の事実一項中「正木収の長女の件で」との点は否認し、その余は認める。二項及び三項は認める。

(七) 五月二七日の事実中一項及び三項は不知。二項中「指導した」との点は否認し、その余は認める。四項中河野一司から被告校長への依頼内容は知らず、被告校長が依頼内容を原告に伝えたとの点は否認し、原告が河野一司と話し合いをしなかつたことは認める。

(八) 五月二九日の事実中一、二項は不知。三項は認める。

(九) 五月三〇日の事実中一項は認める。二項は否認する。三項中「保護者の登校拒否するぞというのはおどしですよ。やるんならやらせればいい」と発言したとの点は否認し、その余は認める。

(一〇) 五月三一日の事実中一項は認める。二項中懇談会の内容は不知。その余は認める。

(一一) 六月二日の事実中一項は争う。二項は認める。

(一二) 六月三日の事実中一項は認める。二項は不知。

(一三) 六月六日の事実中一項は認める。二項は不知。

(一四) 六月七日の事実中一項は認める。二項及び三項は否認する。

(一五) 六月八日の事実中一項及び三項は認める。二項は否認する。四項は知らない。

(一六) 六月一〇日の事実一項中「指導した」との点を争い、その余は認める。二項は認める。

(一七) 六月一二日の事実は認める。

(一八) 六月一三日の事実中一項及び二項は認める。三項は不知。四項及び五項は認める。六項中、被告校長が原告を説得したとの点は否認し、その余は知らない。七項中、一〇時四〇分ころ教頭が全員を連れ戻したとの点は認め、その余は知らない。八項ないし一二項は認める。一三項は不知。一四項及び一五項は認める。一六項は知らない。

(一九) 六月一四日の事実中一項及び二項は認める。三項は否認する。四項ないし六項は認める。七項中「原告が教室から出ないように命じたため」を否認し、その余は認める。八項中、原告が「親や校長の言うことを聞いてはいけない。図書室に行つた者は六年生に進級できない」と発言したとの点を否認し、その余は認める。九項ないし一一項は認める(ただし、一〇項中の授業を妨害した点は除く)。一二項は知らない。

(二〇) 六月一五日の事実中一項及び二項は認める。三項中「多数の」との点は争い、その余は認める。四項及び五項は認める。六項は不知。七項は認める。八項は不知。九項中「原告に何か訴えたいような様子だつたが」との点は争い、その余は認める。一〇項中「原告は『私が担任です。何故出なければならないのですか。どうして私を白い眼で見るのですか』といつて断わる」との点及び「数名の男子児童がトイレに行くと言つて教室外に出る。続いて半数以上の児童が廊下に飛び出し」との点は否認し、その余は認める。一一項中「保護者と児童が近くの教室の教員に対し〔異常事態です。すぐ来て下さい。〕と連絡する。」及び「教頭は、谷教諭に児童を階下の会議室に連れて行くよう指示し」との点は不知。その余は認める。一二ないし一四項は認める。一五項は否認し、一六項は不知。

(二一) 六月一六日の事実中、一項及び二項は認める。三項中「多数の」との点は争い、その余は認める。四項は認める。五項及び六項は不知。七項は認める。

(二二) 六月一七日の事実中、一、二項は認める。三、四項は不知。

(二三) 六月一九日の事実は認める。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例